大谷鉱山跡

奥州藤原氏の都・平泉の黄金文化を支えたとも伝えられる金山跡です。昭和57年刊行の「本吉町誌」には、次のように記されています。『安倍頼時・貞任父子は大谷金山付近の地を重視した。(略)秀衡が産金の中心「田束(たつがね)」に地方鎮護を念じて、寺院を建立し、四男高衡を使わし、本良(もとよし)荘の管理と田束山の祭礼をつかさどらしめたというのが事実なら、いかに本良の産金を重視したか察せられよう』。廃坑までの歴史の一端は、大谷鉱山歴史資料館で知ることができます。

お問合せ
0226-44-3180(指定管理者(株)道の駅大谷海岸)
所在地
宮城県気仙沼市本吉町高瀬ヶ森
駐車場情報
20台