東京都出身、俳優・ダンサーの生島翔さんは、フリーアナウンサーの生島ヒロシさんを父にもち、兄の生島勇輝さんも俳優として活躍する芸能一家。15歳で海外に留学し、ダンサーとして活動。また俳優としても国内外の映画やドラマに出演されています。2022年には、兄の勇輝さんとともに、みなと気仙沼大使に就任されました。
震災後、頻繁に通うようになった気仙沼への想いを、改めてお聞きしました。
「父親の実家」から「自分のルーツ」へ
多忙を極める父親の仕事の合間を縫って、幼少期は2、3年に1回のペースで気仙沼の祖母と叔母の家を訪れていたという生島さん。「自分にとって気仙沼は『父親の実家』。親戚に会ったり、みんなとお寿司を食べたりした思い出があります。気仙沼には、ごく普通におばあちゃんの家に行くという感覚で行っていました」
成長とともに、しだいに行く回数が減っていき、15歳から海外留学が始まると、気仙沼を訪れる機会はほぼなくなっていきました。
アメリカ、ドイツでパフォーマンスのキャリアを積み、海外生活が10年になった頃、ダンサーと俳優の両方を続けていく道はないかと模索し始めるようになった生島さん。2011年、気仙沼の祖母が亡くなったため、日本に一時帰国をしていたその年の3月、東日本大震災が起こります。
「気仙沼の祖母が亡くなって四十九日が3月12日だったので、祖母の遺骨を運ぶために叔母が気仙沼に戻っていて、3月11日に気仙沼を出て東京へ向かう予定でした。その時、津波に巻き込まれてしまったんです。そんな状態で、海外に戻るどころではなくなりました」
家族とともに東京に身を置いていた生島さんですが、親戚とは連絡がとれず、気仙沼の状況もわからない日々が続きます。そんな状況でも、朝のラジオ放送担当していた父・生島ヒロシさんは、気持ちを奮い立たせながらなんとか放送を続け、震災の情報を発信し続けました。
「自分は東京で生まれ育って、海外に住んでいて、気仙沼には長い間行ってなかった。それでも震災直後に『日本に残ろう』と思ったのは、気仙沼にルーツがあると感じたからです」
中の人でもある外の人
生島家にとって厳しい時期がすぎ、ようやく気持ちの整理がついた頃、生島さん兄弟に、映画監督の堤幸彦さんから声がかかりました。
震災前の気仙沼で数々の作品のロケを行い、気仙沼に縁のあった堤監督は、気仙沼のドキュメンタリードラマ『Kesennuma,Voices.』を企画していました。現地で人々の声を聞き、ボランティア活動を行う姿を追う役目を「心の整理がつくのであれば参加してほしい」と2人に依頼したのです。
「東京は数ヶ月で生活が戻り始めていたけれど、気仙沼の親戚から、東北はまだ大変な時期だというのを聞いていました。けれども何をしたらいいかわからない。自分は中の人でもあって、完全に外の人ではない。けれど、その気持ちがわかるからこそ、気仙沼の人の声を聞く立場になれるんじゃないかと堤さんに言っていただいて、ドキュメンタリー撮影に参加することを決めました」
2011年12月から始まったドキュメンタリーの撮影は、定期的に行われるようになり、以降は年に何度も気仙沼に足を運ぶようになりました。生島さんと気仙沼との新しい付き合いは、この時から始まりました。
新しい世代と新しい企画を
震災直後は側溝の掃除や家屋の片付けといったボランティアや、気仙沼の人の声を聞き届けるドキュメンタリー撮影をおこなってきた生島さん。何年も通い続けるなか、街との関係性も変わってきたと言います。
「子供の頃は、親父の世代の人たちとご飯を食べにいくような付き合い方でしたけど、10年以上気仙沼に通って、ずっとこの街を見てきて、新しい関係性ができました。自分達も大人になって同世代の人との出会って、何かやってみたい時に協力を仰げるような仲間がいる。お酒も肴も楽しめるようになって、今気仙沼をすごく楽しめていることが嬉しいです」
そう話すのは、震災直後から気仙沼の街をずっと定点観測し続けてきたからこそ。
「被災地でパフォーマンスをすること自体賛否があった時期を経て、5年経って、10年経って、地元の子供たちとダンスをやったりミュージカルをやったり、僕がここでできることも少しずつ変化してきました。今年からこのあたりで映画を撮りたいと思ってます」
「気仙沼の人は、外の人を受け入れる土地柄もあると思う。僕自身は住んだことがないのに、受け入れてくれる感じがします。
震災直後に感じた、気仙沼のルーツを持つ自分が、気仙沼の外と中をつなぐ基地のような存在になっていければとも考えているそう。「海外の人がより来やすくなるような活動もしたいし、交流の場所を作っていきたい。それが願いであり目標です」
おすすめはクラフトビールの「BTB」
最後に、気仙沼のおすすめをお聞きしたところ、お酒が好きなので、気仙沼のクラフトビール醸造所「BLACK TIDE BREWING(BTB)」とのこと。昨年、BTBが主催するの気仙沼ビアフェスティバル2022に訪れたとき、大きな街の変化を感じたという生島さん。
「会場のないわんの海岸広場に若い人がたくさんいて、芝生で子供たちが遊んでいる、明るくて祝祭的な雰囲気が印象に残りました。僕も声をかけられたり、人を紹介されたり、空間が開かれている感じがすごくいいなと思いました」
街の変化とともに、生島さんと新しい世代の企みがどんどん膨らんでいく予感がします。
1985年生まれ。俳優・振付家・プロデューサー。株式会社034productions代表取締役。京都大学研究員。 15歳で芸術高校に単身渡米、ダンスを始める。ニューヨーク大学卒業後、カッセル州立劇場ソリストになる。企画・振付・出演の『Trinity』(監督:堤幸彦)はチリのSFAAFにて6部門受賞。 俳優としてハリウッド映画『Darc』で準主役抜擢、企画制作・出演の日比共同製作映画『CROSSPOINT』等の海外作品に出演。国内では宮本亜門演出『ヴェローナの二紳士』、原田眞人監督『関ヶ原』他に出演。
2022年4月から「みなと気仙沼大使」に就任。
オフィシャルサイト:https://www.shoikushima.com/
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