おかえりモネの舞台
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萱岡雅光
萱岡雅光(かやおか まさみつ)1990年生まれ、福井県出身。盛岡市文化財調査員を経て、2014年に就職で気仙沼に移住。現在、リアス・アーク美術館(http://rias-ark.sakura.ne.jp/2/)で歴史民俗資料の担当学芸員をしている。文化人類学/民俗学的手法による祭礼の研究が専門。気仙沼に来てからは養殖漁業や山村の生活文化についても調べている。まちを歩いて古いものを見つけることや、地域のお年寄りから昔話を聞くことが生きがい。
海だけじゃない!「山と生きる」気仙沼の生き方

このコーナーでは、気仙沼の市民の方に先生としてご登場いただきます。今回の先生は「リアス・アーク美術館」の、歴史民俗資料を担当している学芸員、萱岡(かやおか)雅光さんです。それでは萱岡先生、よろしくお願いいたします!

今回のテーマは…

みなさん、こんにちは!リアス・アーク美術館の萱岡です。秋も大分深まってきましたね。私が勤務しているリアス・アーク美術館は山の上にあり、周辺は自然が豊かです。最近、ノギクやハギなど、秋を感じさせる花が見頃を迎えています。花だけでなく、この季節になると周辺の散歩コースにアケビやガマズミの実がなっているのも見ることもできます。子供の頃、オヤツにした思い出がある方もいるのではないでしょうか?実は気仙沼はその市域の多くが山林で占められ、ここに住む人々は古くから多くの恩恵を山から受けてきました。今回はそのほんの一端をご紹介してみようと思います。

ソゾメとホヤ

この時期、山を歩くと必ずといっていいほど見かけるガマズミの実。緑の中でよく目立ち、とても可愛らしい実ですよね。このガマズミは当地方では「ソゾメ」と呼ばれ、道具の材料として利用されてきました。

▲ソゾメ(標準和名:ガマズミ)

ところで先日、「おかえりモネ」で「アワビの開口」のお話が出てきましたね。作中であまり詳しくは説明されていませんでしたが、三陸南部では、長い竿の先にカギを付けたもので、海底にいるアワビやウニを引っ掛けて採る「見突き漁」が盛んです。この漁では舟の上から箱メガネと呼ばれる道具で海底を見て狙いを定めるため、海水の透明度が重要です。また非常に繊細な漁のため、風や波がある時には行えません。作中で海の濁りや風が問題とされていたのは、このためです。「見突き漁」に適した海や天候の状況は限られているのです。

▲アワビを採るカギ。後ろの木の箱が「箱メガネ」(リアス・アーク美術館常設展示中)
▲見突き漁の仕組み(イラスト:山内宏泰)

さて、話をソゾメに戻しましょう。見突き漁と似た漁法で、ソゾメが重要な役割を果たす漁があります。それは「探りホヤ漁」です。探りホヤ漁は岩礁や海底についているホヤを、三つ又のカギをつけた長い竿を使って採る漁法です。

▲ホヤカギ。金属製のカギをソゾメで作った竿の先に括り付けてある。

探りホヤ漁は先に紹介した「見突き漁」に似ていますが、箱ネガネで海底を見ることはありません。見えない海底を経験とカンのみで「探って」ホヤを採る、とても難しい漁です。ホヤは岩礁に根を張っており、それをカギで引き剝がして採ります。そのため竿材には丈夫な上にしなり具合が良いソゾメが最適でした。また、万が一折れてしまった時でもソゾメは真っ二つにならずに裂けて折れるので、カギを海底に落としてしまうことが少なかったのだそうです。漁に使うソゾメは、漁師自身で山に入って適したもの採ってきました。昔は各浜に名人と呼ばれる漁師さんがいて、ソゾメを何本もつなぎ合わせ、20メートル以上もの長い竿を器用に使いこなしていたものでした。

▲ソゾメ同士を結んで継ぎ合せる。

この漁法は難しい上にホヤ養殖が盛んになったことで、現在ではほとんど行われなくなりました。

ソゾメとタコ

▲イシャリ(右)とタココロシ(左の2本)

また、漁師さんに昔の漁業のお話しを聞いている中でソゾメが登場するのが、タコ漁の話になった時です。

写真右のカギのついた道具は「イシャリ」と呼ばれるもので、タコを釣る道具です。平べったい石に木や竹を括り付けてあります。自然の造形を巧みに利用していて、実に美しいと思いませんか?私は何時間でも見ていられます(笑)。このイシャリに餌をつけて海に沈め、上下させてタコを誘って釣り上げます。釣り上げたタコはその場で手早く締めてしまいます。そうしないと、タコが逃げたり、舟に張り付いて取れなくなってしまったりするからです。タコを締めるにはその名もズバリ「タココロシ」という名の先の尖った棒(写真左)で、タコの眉間あたりを突き刺します。このタココロシにソゾメがよく使用されました(※写真のタココロシは残念ながらソゾメ製ではないようです)。このような昔の漁具の多くは漁師さんの手作りでした。山に入って材料の木を選びとるところから、既に漁は始まっているのです。私がこのタコの話を聞いたベテラン漁師さんは「漁師の腕は漁を見なくても使っている道具を見れば分かる」とおっしゃっていました。
「おかえりモネ」でモネのおじいちゃんが「昔の漁師はみんな木に詳しかった」と語っていました。このセリフは「昔は木に詳しくないと漁師になれなかった」と、少し強引ですが言い換えることが出来るのかもしれませんね。

海の産業と木

リアス海岸を有する三陸地域では、海と山が近く、浜でも木材を容易に入手することができました。漁業との関わりを見れば、漁具の材料以外にも、例えばカツオ節など、水産物の加工において燃料としての木は必要不可欠でした(気仙沼とカツオの関係については以前の記事を参照)。

▲カツオ節の燻乾作業。木を燃やした煙で何度もじっくりと燻す。昔はカツオ節工場では山から薪を供給する人を専属に雇っていたという。(取材協力:株式会社マルヤマ)

海と山、両方の恵みの「結晶」と言えるのが、塩です。かつて気仙沼地域には塩を製造する「塩田」が数多くありました。塩田での塩作りでは塩を煮詰めるために大量の薪が必要です。海の近くに豊富な山林資源があった気仙沼は製塩業に適した地域で、江戸時代、伊達藩における重要な製塩拠点の一つでした。村の様子が描かれた文政年間(18181829)の絵図を見ると、山林の所々に「御塩木山」、「御鉄山」などの文字が書き込まれています。製塩や製鉄業に利用するために、山の木が大切に管理されていたのですね。

▲『本吉郡北方赤岩村分間絵図』(部分)。「御塩木山」の文字が見える。

終わりに

気仙沼は「海と生きる」をスローガンに掲げるまちで、「海のまち」のイメージが一般的かと思います。しかし、この地域の歴史や文化を見てみると、人々は決して海だけと「生きてきた」わけではないことが分かります。気仙沼にお越しの際には、ぜひ美しい風景や美味しい食べ物の中に込められている「気仙沼人の生き方」まで感じ取っていただければ、とても嬉しいです。

気仙沼の市民の方に先生としてご登場していただく
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あのシーンを解説!気仙沼のお盆について

このコーナーでは、気仙沼の市民の方に先生としてご登場いただきます。今回の先生は「リアス・アーク美術館」の、歴史民俗資料を担当している学芸員、萱岡(かやおか)雅光さんです。それでは萱岡先生、よろしくお願いいたします!

今回のテーマは…

みなさん、こんにちは!「リアス・アーク美術館」の萱岡です。
前回のカツオに引き続き、気仙沼の歴史や文化をちょっとだけディープにご紹介していきます!今回のテーマは、「気仙沼のお盆」です。

「おかえりモネ」でモネがお盆に帰省し同級生と再会する場面がありました。その際、気仙沼のお盆の風習が登場し、ドラマに深みを与えていましたね。特に「盆舟流し」の場面で、モネのおじいちゃんが海を見つめるシーンは印象的でした。

ドラマを見て、「盆棚って何だろう?」「モネたちが唱えていたあの呪文のような言葉は何?」と不思議に思った方もいるのではないでしょうか?
今回は、劇中に登場したお盆の風習を中心に、「気仙沼のお盆」について解説します。

迎え火の呪文

お盆に帰省したモネが、同級生達と実家で再開し、庭で「迎え火」を焚くシーンがありました。そのシーンで、火の上に足をかざし、何か呪文のようなものを唱えていましたね。あれはどういう意味なのでしょうか?あの時に唱えていた言葉は、

「ヘビ ムカデに かれねえように ど~ごもいでどご ねえように」。
意味は「蛇やムカデに噛まれませんように、身体のどこも痛くなりませんように」といった感じです。

8月13日、あるいは7日に先祖の霊を家に迎える目印として焚く火を「迎え火」と呼びます。気仙沼では迎え火は麻の茎に硫黄を塗ったもの(ラッツォク)に火を点けて焚きます。
ラッツォク(ラッチョクとも)

この際、足を火や煙にかざすと蛇やムカデなどに噛まれないとされており、その願いを込めてあの言葉を唱えるのです。この風習は、迎え火を炊く時に行う家と、8月20日に行う家、8月30日に行う家などがあるようです。

また、ラッツォク自体を燃やさない家、ラッツォクは燃やしても唱えごとはしないという家があります。現在、唱えごとをする家は気仙沼市の北側に位置する唐桑地域に比較的多いようです。

気仙沼盆棚事情

劇中では、モネが登米から持ち帰った組手什(くでじゅう)で盆棚を組み立てていました。お盆には、その家の先祖の霊が家に戻ってくるとされています。盆棚はその帰ってきた先祖の霊を祀るための祭壇です。

▲フシグロセンノウ。この花を教えてくれた人の家では、盆花と果物(アケビなど)は買わずに山から自分達で採取してくるという。

盆棚の上には先祖の位牌、団子、果物などを乗せます。また、キク・オミナエシ・ミソハギ・フシグロセンノウなどの花を飾ります。供物や盆花の種類や配置も家によって伝えてきた決まりがあるようです。
当地方では神棚と仏壇が設置される部屋を「オガミ」と呼びますが、盆棚は盆の期間中、「オガミ」に設置され、盆が終われば解体されます。

お盆の風習は地域、そして家によって本当に千差万別。同じ気仙沼市内でもその家によって伝えられてきた風習が異なります。市内のお宅の盆棚をちょっと覗いてみましょう。

この家の盆棚は1段のタイプで、段の上に位牌と供物を一緒に乗せています。左右に笹を飾り、その笹を昆布で盆棚にしばっています。モネが登米から持ち帰った組手什で組んだ盆棚はこのタイプでした。

一段タイプの他にも、階段状に何段かある盆棚もあります。モネのおじいちゃんが最初に組み立てようとしていた古い盆棚は、そのタイプかと思われます。


この家では、盆棚を庭に向けて設置します。気仙沼の「オガミ」の部屋は、ほとんどの場合は庭に面しています。この家では「オガミ」の障子と縁側の戸を空けて先祖の霊が庭から入ってこられるようにしている、とのことでした。

盆棚には毎朝手を合わせます。この家の盆棚はとても豪華ですね(写真の奥に見えるのが「オガミ」に面した庭)

お墓参りに動物ビスケット!?

これは盆棚への供物ではないのですが、お盆のお墓参りにおける変わった供物として、動物の形をしたビスケットがあります。ちょうどこの時期になるとスーパーで山積みの状態で売られているのを見ます。この風習がいつ頃から、なぜ気仙沼で広まったのかは、よく分かっていません…。とても不思議です(ご存知の方がいたら美術館にご連絡ください)。

ちなみにお墓には動物のビスケットの他に果物の形をした砂糖菓子、そしてナスとキュウリを賽の目状に切って米と混ぜ、お茶をかけたもの(「オショウコウモノ」などと呼ぶ)を供えます。

▲お墓の供物。気仙沼では14日の朝にお墓参りをする地域が多い。
▲動物の形をしたビスケット。気仙沼特有のお菓子ではないのだが、お盆に欠かせない供物となっている。ちなみに静岡県の一部では節分に同様のビスケットを撒く風習があるらしい。

盆舟流しと「海」

ドラマでは、お盆の最後に盆舟を浜に持って行って海水に浸し、お焚き上げをするシーンが描かれていました。盆舟流しはお盆に帰ってきた先祖の霊を舟に乗せて送り出す風習で、8月16日の朝に行われます。

▲盆舟。舳先を昆布で縛ってある。

盆舟には「カカンジョウ」と呼ばれる札(お寺から配られる)の他、あの世へのお土産として供物の一部を乗せます。昔、盆舟は手作りで、麦藁やマコモなどで編んだものでしたが現在はスーパーマーケットなどで既製品を買ってきます。

盆舟を海に流した後、泳いで追いかけて供物の果物などを食べるのが子供達の秘かな楽しみだったとか。この思い出を聞いてみると、地域のお年寄りの方々は本当に楽しそうに生き生きと話してくれます。
カカンジョウ

現在では環境に配慮して、盆舟は海や川に流さないことにしています。しかし、流すことが禁止された現在でも、送り盆の朝には家族全員で浜に降り、盆舟を海水に浸して流したことにして、先祖の霊を海の向こうの「あの世」へ送り出している家もあります。例え流すことが禁じられたとしても、せめて形だけでも、大切な人達の霊を海から(あるいは海へ)送りたい…。いかにこのまちにとって海が文化的、精神的にも特別な存在であるかが分かります。

▲盆舟流しの様子。16日の朝に家族全員が浜に降り、盆舟を海水に浸してから、拝む。

この16日の朝、気仙沼を出ていた若者達が帰省して久しぶりに浜で同級生と再会し、「元気にしてる?」なんて語り合っている光景はこの地域ならではの夏の情緒を感じさせます。

終わりに

いかがだったでしょうか?
ここで紹介した内容は、皆さんの住んでいる地域と同じ風習、あるいは違った風習があったと思います。本当はまだまだ紹介したいことがあったのですが、あまりにもディープになりそうなのでこの辺で(笑)。近年は少しずつお盆の風習も簡略化されたり、省略されたりしていますが、気仙沼にはまだまだ古い風習や言葉、文化が生活の一部として残っています。
観光で文化施設や寺社仏閣などを訪れ、目に見えて特徴ある「文化」を体感するのもいいですが、ここで紹介したような、そこに生きる人々の「当たり前」の暮らしぶりや「生き方」など、目に見えない「文化」に注目してみると、より深い地域の魅力が見えてくるかもしれません。

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気仙沼人のソウルフィッシュ!カツオの歴史と文化について

このコーナーでは、気仙沼の市民の方に先生としてご登場いただきます。今回の先生は「リアス・アーク美術館」の、歴史民俗資料を担当している学芸員、萱岡(かやおか)雅光さんです。今回のテーマは、気仙沼人にとって最もなじみの深い魚と言える「カツオ」の歴史と文化について。
それでは萱岡先生、よろしくお願いいたします!

気仙沼といえば…

みなさん、はじめまして!私は気仙沼にある「リアス・アーク美術館」で学芸員をしている萱岡です。地域の歴史や文化を調べたり記録したりして、展示等を通して人に伝えるお仕事をしています。よろしくお願いします。
「おかえりモネ」を見て「気仙沼のカキ、食べてみたいなぁ~」と思った方も多いのではないでしょうか?気仙沼のカキは本当に美味しいです。しかし、「地元目線」で気仙沼の水産物を語るならば、これからの時期に絶対にチェックして欲しいものがあります。

▲気仙沼のカツオの刺身
▲イラスト:山内宏泰(以下同様)

それは、カツオです!気仙沼のことをよく知らないという方にとっては、あまりピンとこないかもしれません。「カツオと言えば高知県じゃないの?」という声が聞こえてきそうです。でも実は、生鮮カツオが日本で一番水揚げされているのは他でもない、ここ気仙沼なのです。しかもこの日本一の記録は24年連続で破られていません!今回は気仙沼とカツオの関係について、歴史や文化に触れながら紹介してみます。(気仙沼のカキ養殖についても、後に取り上げる予定ですので、お楽しみに!)

どうしてカツオが気仙沼で獲れるの?

カツオは南の温かい海域で産まれ、春になると暖流である黒潮にのって北上し日本の太平洋側近くを通ります。この時に獲られたカツオが初夏から旬を迎える「上りガツオ」です。北上したカツオは餌が豊富な三陸~北海道沖でたっぷりと餌を食べ脂肪を蓄えると、秋には南下して帰ります。これを「戻りガツオ」と呼び、秋に旬を迎えます。気仙沼はちょうどカツオの回遊する良好な漁場が沖にあって、さらに南下し始めて間もない脂の乗ったカツオを新鮮な状態で水揚げできる場所に位置しているのです。

気仙沼とカツオの歴史

カツオが気仙沼にとって重要な魚となった転換点の一つが、カツオ一本釣り漁との出会いです。唐桑半島の鈴木家に伝わる古文書には同家の勘右衛門が江戸時代の延宝3(1675)年に紀州(現在の和歌山県)の漁師を呼び寄せ、地元の漁師にカツオ一本釣り漁を習得させたことが記されています。これが気仙沼地方におけるカツオ一本釣り漁の始まりと考えられています。地元民からは反対の声もあったようですが、それでも地域を潤すためにと新技術を積極的に導入した勘右衛門さんは、先見の明があったと言えるでしょう。

そうしてカツオは気仙沼の名物となります。天明年間(1781年~1789年)に気仙沼を訪れた知識人達は港の活況ぶりや、カツオ漁の巧みさ、立派なカツオが安く売られていることなどに驚き、その様子を書き残しています。

どのように獲っているの?

ここでは一本釣り漁について説明します。カツオ一本釣り漁はカツオの群れを見つけ、カツオの餌である生きイワシを撒いてカツオを寄せてから釣竿一本で釣り上げる、勇壮な漁法です。生餌だけでなく疑似餌(バケ)も使用されます。

この疑似餌の特徴は、返しが付いていないことです。かつてカツオの多くはカツオ節に加工されましたが、身の傷んだカツオは煮上げた際に崩れてしまいます。そのため、身を傷めないように釣り上げたカツオを左の脇の下に抱え、手で針を外していたのですが、釣り針がすぐに抜けるよう返しのない針が使用されてきたのです。昔、疑似餌は鹿角や鳥羽などを使い、漁師各自で工夫して自作したものでした。

現代ではカツオ節への加工は主流ではなくなってきましたが、一本釣りで獲られたカツオは魚体に傷みが少なく、新鮮なまま冷やされて港まで運ばれるので本当に美味しいです!

カツオと精神文化

気仙沼にとってカツオは、経済面だけでなく文化面においても大切な存在です。唐桑地区では、小正月に子供達がカツオを模した作りものや魚の形をした切紙を各家に配って歩く年中行事があります。これはカツオ大漁の様子を模したもので、カツオ大漁を祈願する行事です。さらにカツオの大漁時などに唄われた「大漁唄いこみ」も伝統芸能として唄い継がれており、カツオがいかにこの土地にとって大切な存在であったかが分かります。

▲カツオを模した作り物。子供達が各家に配り歩いた。この行事は現在行われていない。(リアス・アーク美術館 常設展示中)
▲「大漁カンバン」:大漁を祝って船主から船員に配られた特別な晴れ着。カツオの絵が描かれている。(リアス・アーク美術館 常設展示中)

カツオと生きるまち

気仙沼ではカツオを無駄なく、より長く、そしてより美味しく食べるため、昔から様々な工夫がされてきました。

▲カツオ節の日乾作業(昭和後期 気仙沼市浪板地区)

実は、現在気仙沼にカツオを水揚げする船のほとんどが気仙沼の船ではありません。カツオの流通、加工、消費の体制や技術が、長い歴史の中で整えられているからこそ漁師さん達はこの気仙沼を選んでカツオを水揚げしてくれています。市場関係者、箱屋、氷屋、造船所、漁師さん達をもてなす飲食店など、カツオ漁を支える人達が大勢いて、まちが回っています。気仙沼ではカツオが「文化」として根付いているのです。

おわりに

ごくごく簡単に、気仙沼とカツオの関係について紹介してみました。カツオの季節が来ると新聞は連日のように水揚げ状況を報じ、SNSはカツオの投稿写真であふれかえり、人々は刺身の脂の乗り具合で、季節の移り変わりを舌で感じます。 カツオは歴史的・文化的・精神的に気仙沼にとって重要な魚なのです。まさに気仙沼人の「ソウルフィッシュ」。

気仙沼戻りがつお宮登
▲脂ののった戻りガツオ!

私は気仙沼に来るまで、生のカツオはタタキでしか食べたことがなかったのですが、気仙沼で脂の乗った戻りガツオの刺身を食べた時、あまりの美味しさにショックを受け、それ以降私の中の「ごちそうランキング」が完全に塗り替えられました。これからの季節、気仙沼に来るという方はぜひカツオを食べてみてください。その時、この記事で紹介したような、歴史や文化、カツオ漁に関わる沢山の人達のことを少しでも思いながら食べていただくと、より一層美味しくなるかもしれません。

気仙沼の市民の方に先生としてご登場していただく
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