このコーナーでは、気仙沼の市民の方に先生としてご登場いただきます。今回の先生は「リアス・アーク美術館」の館長、山内宏泰さんです。気仙沼在住27年の「ベテラン移住者」である山内さんから「気仙沼のいいところ」をテーマに、気仙沼の魅力や、住み続ける理由について教えていただきます。
それでは山内先生、よろしくお願いいたします!
気仙沼の宝、ユニークな人々
いつのころからか、私を〝天才山ちゃん″と呼ぶようになったスローフード気仙沼のアニキたちは、実は私の何倍もバイタリティーあふれるスター軍団でした。魚屋さん、造り酒屋さん、油屋さん、電気屋さん、料理人、などなど、様々な業種の様々な技能を持つアニキたちが実現しようとする壮大なまちづくりの夢を、私も一緒に追いかけてきました。
荒くれた浜の気質で、文化・芸術など意に介さぬ地域性が美術館の存在を潰しにかかるのではないか! 気仙沼に移住してきた当初は、そんな不安も抱きましたが、実際には全くそんなことはありませんでした。意外なことかもしれませんが、港まち気仙沼には芸術的な活動を愛好する人たちがたくさんいます。
例えば遠洋マグロ漁船の船員さんなどは、外国の寄港先で暇つぶしに美術館巡りをすることがあるそうです。字が読めなくても、言葉がわからなくても楽しめますので、美術館はお勧めのようです。気仙沼にはそういう経験をしてきた元漁師さんなどがたくさんいて、自分で絵を描く人も多い、だからこそ美術館がつくられることになったのだと私は解釈しています。
港まち気仙沼で腕を揮う鮨屋の大将が、実は美術作品コレクターで、かつ自分でも油絵を描く方だったり、農家のおじさんが実はプロ級の写真家だったりします。役所の職員が詩の同人誌を発行していたり、魚市場前で仲買を営む方が地元アートグループの代表、画家だったり、米屋の女将さんが大劇団を立ち上げたり、ちょっとお洒落な喫茶店が気仙沼ジャズマンたちの聖地になっていたり、とにかく文化的な活動をしている人たちがひしめき合っている〝豊かな″まちなのです。
古くから港に寄港する船員たちをもてなしてきた気仙沼には、芸事を生業にする人たちもたくさんいました。おいしい酒を振舞うために造り酒屋もあります。船大工としての特殊な木工技術を習得した大工さんもいました。漁業には欠かせない竹製品を作る竹職人や漁具を作る鍛冶屋、大漁旗や大漁カンバンを染める染物屋などなど、気仙沼には海を中心に築き上げられたクラフトマンシップと、それを見極める芸術的センスが根付いているのだと思います。そしてその一方で、浜の人々はやはり屈強でもあります。
ラグビーが盛んな気仙沼からは、日本代表選手なども誕生しています。そして柔道や空手などの武道も盛んです。気仙沼でコーヒーショップを営む友人は、私が知る限り現在気仙沼で最も巨大な人で、やはり元ラガーマンです。また丸太のような腕をした内湾地区のある魚屋さんは、柔道、空手の有段者で、アームレスリングのチャンピオン、パワーリフティングの日本ランカーだった人。油屋さんは東京六大学野球で有名な大学野球部出身。一見シュッとした造り酒屋さんは大学でアイスホッケーをやっていたとか。とにかく気合の入った人たちが一堂に会して〝まちづくり″をしている、気仙沼とはそういうまちなのです。
「マッチョで器用な男たちと、きっぷのいい朗らかな女たちが暮らす港まち気仙沼」、そう言ってしまえば、もはやその魅力をこまごまと説明する必要はないかもしれません。
私のように、よそのまちからやってきた者の多くは、この素敵な人たちの魅力にやられ、気仙沼にはまっていくことになります。私の周りにはそういう〝はまっちゃった人″がたくさんいます。特に2011年の東日本大震災をきっかけに当地を訪れた人たちが、口をそろえて語っていたことは、面白すぎる気仙沼人を称賛する数多のエピソードです。地元民のひいき目ではなく、私のようなよそ者の目から見ても、気仙沼の人々は面白い。それどころか、世界的な活躍をしてきたような著名人でさえ、気仙沼人の魅力にはまっていきます。そして嬉しいことに、そんなユニークな人たちと未来を共有したいと願う若者たちが、この10年でたくさん増えました。そのすべてが気仙沼の財産、宝です。
(つづく……)
この記事は全4回に分けてお送りします。
「気仙沼のいいところ(在住27年、ベテラン移住者から)」
第1回「気仙沼との出会い」
第2回「ディープな気仙沼への入口」
第4回「おわりに~あれから10年、愛しき気仙沼へ」
気仙沼の市民の方に先生としてご登場していただく
「教えて〇〇先生!」シリーズはこちらからご覧いただけます。
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