このコーナーでは、気仙沼の市民の方に先生としてご登場いただきます。今回の先生は「リアス・アーク美術館」の館長、山内宏泰さんです。
それでは山内先生、よろしくお願いいたします!
今回のテーマは…
教えて○○先生ということで、気仙沼について何を語ろうかと思いましたが、今回は気仙沼のいいところを在住27年の〝ベテラン移住者″の立場からお伝えしようかと思います。
私が移住してきた27年前の気仙沼は現在とは全く別世界でしたので、まずはそこら辺の背景から、東日本大震災発生前の気仙沼、それから現在の気仙沼についていろいろ語っていきます。震災によって気仙沼は激変しました。それでも変わらない〝気仙沼のいいところ″と言えば…ここから先は本編で。
気仙沼との出会い
現在、リアス・アーク美術館で館長を務める私は、〝地元気仙沼の歴史や文化をよく知っている人″と認識されていますが、実際は移住者であり、いわゆる〝よそ者″です。もともと気仙沼には親戚縁者もおらず、文字通り〝縁もゆかりもない土地″にポッコリやってきた一人の若者でした。当時、若干23歳だったよそ者の私は、加えて〝学芸員″というあまり一般には知られていない専門職についていたため、好奇心旺盛な地元の〝おんつぁま方″からはずいぶん珍しがられ、可愛がっていただきました。
私が気仙沼にたどり着くまでの経緯ですが、ざっくり言ってしまうと、石巻市で生まれ育ち、仙台市で学生時代を過ごした後、というか宮城教育大学の大学院在学中、気仙沼市に新設される〝リアス・アーク美術館″なる謎の美術館に勤めることになり、大学院を中退して気仙沼に移住してきました。
1994年当時の気仙沼と言えば、宮城県内でもものすごい僻地といったイメージで、教育大の学生の間では〝新採教員が送り込まれる試練の地″として恐れられた〝宮城の果ての港まち″でした。仙台からだと何をやっても片道3時間前後を要する遠隔地で、とにかく気仙沼は〝とても遠いまち″だったのです。
私自身は本当に縁のない土地でしたが、母方の叔母に教員だった人がいて、実はその叔母の初任地が気仙沼大島だったそうです。それこそ無縁だった大島で一人、叔母は下宿暮らしをしたそうですが、その環境に耐えきれずに数年で教員を辞めてしまった、という恐ろしい伝説が我が家に残されています。
私が知る気仙沼とはそういうところでしたが、同じ宮城県内の石巻市という海辺のまちで生まれ育った身としては、当初から気仙沼の地域性にそれほどの違和感はなく、個人的には嫌な土地と感じることもありませんでした。しかし正直なところ、仕事をするにはちょっとハードルの高い地域でした。気仙沼と言えば、何と言っても漁業、水産業のまちです。そんなまちになぜか美術館建設構想が立ち上がり、巨大で極端に個性的なリアス・アーク美術館が建設されることになりました。
ところが施設の建設整備中にバブルが崩壊、美術館構想は一気に窮地に追い込まれました。地域住民にしてみれば、地域経済が坂を転げ落ちるように低迷していく中、美術館などという〝贅沢品″にお金をかけている場合ではない、芸術など腹の足しにはならない、それどころではないと考えるのは当然のこと、それが当時の気仙沼では常識でした。
オープン当初から、リアス・アーク美術館は「税金の無駄遣い、福祉施設に改造してしまえ!」などの批判的な声に晒され続け、将来性には大きな不安を抱えていました。大学院まで中退して、人生をかけて移住してきてしまった若者にとって、それは厳しい現実でした。しかしそのような現状を、私は次のようにちょっと変わった受け止め方をしました。
「芸術など不要だという地域住民に、その重要さを伝えることが自分の使命だ! 不要だというならば、必要だと言われるように、このまちを変えてみせる!」、なーんて、ちょっとおかしなことを考えてしまったのです。
分別はあったと思いますが、今から振り返ってみれば、ずいぶん勇んだものの考え方をしたものだと思います。しかし、決して間違った考え方ではありませんし、教育施設である美術館(博物館)の教育職である学芸員の考えとして、その発想はバカが付くほど真っ当です。そう信じて生きていくしかなかったのです。そして、そんな風に考える私を評価、応援してくれるユニークな〝おんつぁま、おばちゃま方″が気仙沼に少しだけいました。
何だか一風変わったことをしている世話好きで個性的な〝おんつぁま、おばちゃま″たちは、気仙沼のことを何も知らなかった私をディープな底なし沼へといざなってくれました。私と気仙沼の関係はそこから少しずつ深まり、やがて離れられない関係へと発展していくことになります。
(つづく……)
この記事は全4回に分けてお送りします。
「気仙沼のいいところ(在住27年、ベテラン移住者から)」
第2回「ディープな気仙沼への入口」
第3回「気仙沼の宝、ユニークな人々」
第4回「おわりに~あれから10年、愛しき気仙沼へ」
気仙沼の市民の方に先生としてご登場していただく
「教えて〇〇先生!」シリーズはこちらからご覧いただけます。
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