【Kappoスペシャル対談】温故知新、気仙沼市

新しいチャレンジをはじめた2人の話し

未分類 2019/03/11

※この記事は、Kappo3月号(2022年3月1日発行・株式会社プレスアート編集・発行)で掲載した内容を提供いただき転載しております。

【Kappoスペシャル対談】温故知新、気仙沼市

東日本大震災から丸11年が経とうとしている今、気仙沼市は震災復興から次のフェーズへの過渡期を迎えている。基幹産業である水産業を、さまざまな関連産業が惑星のように取り巻く気仙沼。その中で新しい価値観を持った事業を展開し、注目を集めているのが、『藤田製凾店』の専務取締役兼『トランポリンパーク F-BOX』のCEOである藤田一平さんと、『amu』代表取締役の加藤広大さんだ。次世代の気仙沼を担う若きおふたりにお話を伺った。

〈写真右〉藤田製凾店 専務取締役、トランポリンパーク F-BOX CEO 藤田一平さん
1986年、気仙沼市生まれ。水産業に不可欠な包装資材を扱う、創業89年の『藤田製凾店』の4代目。震災直前の2011年1月に気仙沼にUターンし、2018年12月に自社資源である倉庫を活かして室内で遊べる東北初のトランポリンパーク『F-BOX』を開業。誰もが気軽に、健康に、自由に楽しむことのできる場を提供している。今後、パークの増築を検討中。

〈写真左〉amu 代表取締役、加藤広大さん
1997年、神奈川県小田原市生まれ。大学1年の時にボランティアで初めて気仙沼を訪れて以来、気仙沼の魅力に取りつかれる。2年半ほど前に移住し、2021年9月、『amu』を創業。廃漁網を回収、生地にして100年着れるジャケットを製作するプロジェクトをスタートさせた。ほか、元遊郭をリノベーションし、移住者の交流の場、拠点とする取り組みも推進。

それぞれの想いを持って新規事業を立ち上げる

――おふたりの出会いは?
加藤 大学時代、気仙沼のまちづくり会社にインターンでお世話になっていました。藤田さんとはその当時、何かの打ち上げでお会いした記憶があります。
藤田 広大くんは、インターン先で学生を受け入れる側として企画を立てたりしていたよね。
志を高く持ちながらも、悪戦苦闘している姿をよく覚えています。

――加藤さんはその後、気仙沼で起業したんですね。
加藤 はい。インターン当時から、卒業後は気仙沼だからこそできることで起業したいという思いがありました。慈善事業ではなく、ビジネスとして価値を作り、利益を出して気仙沼に還元したいと。そのために2年半前に移住し、自分への意思表明として昨年の秋に株式会社を立ち上げました。
藤田 広大くんは有言実行な人。すごく信頼できますね。それに、「気仙沼の産業の根幹をなす水産業を活性化するために、漁師さんたちの価値を高めたい」という事業理念にも共感できました。

――そんな藤田さんは、製函業という本業がありながら、自社倉庫を利用して東北初となるトランポリンパークを開業されました。その経緯は?
藤田 弊社は東日本大震災の津波で甚大な被害をこうむり、創業以来の危機に陥りました。一方で、震災後、仮設住宅建設などによって、気仙沼には運動場や遊び場が減ってしまったんです。そこで、自社のリソースを活かしつつ、会社と地域、両方の課題を解決できる持続可能なビジネスはないかと考えた結果、導き出した答えがトランポリンでした。うちの倉庫の特徴である8mという天井高が活かせますし、実際に跳んでみると面白いし気持ちいい。運動効果も高いんです。現在、会員数は1万人ほど。地元の人向けに造った施設ですが、市外からの観光客の方も増え、交流人口の増加に少しは寄与できているのかなと思います。

気仙沼のブランド力を高め地元に還元したい

――加藤さんは、海洋汚染の原因ともなっている廃漁網に目を付けたのはなぜですか?
加藤 漁師さんを応援したい気持ちが大前提としてあって、なおかつ漁網がシンプルに資源として魅力的だったからです。最初は環境うんぬんは二の次でした。私は気仙沼の水産業を巡る生態系が好きで。ただ捨てられるだけの漁網を活用して、漁業を巡る価値や利益が循環し、連鎖していくような、そんなビジネスができたらいいなと思ったんです。
藤田 確かに気仙沼は水産業でみんなつながっているよね。移住者の彼がそのことに気づけているのはすごいこと。それに地方ではパイを奪い合っている場合ではないんです。これから始まっていく取り組みが新たな価値観をもたらし、気仙沼の発展につながるはずです。
加藤 藤田さんにはいろいろな形で応援していただいて感謝しています。今後の展開としては、今年中に廃漁網をリサイクルした生地でジャケットを生産し、販売する予定です。中長期的には、この事業を気仙沼発のビジネスとして発信し、全国、世界の港町で水平展開し、気仙沼にリターンをもたらしたいと考えています。
藤田 広大くんの取り組みは、漁師さんにとっても低リスク、低コストなうえ、「環境保全に貢献している」という意識が持てる素晴らしいこと。長い目で見た時に、これを始めたのが気仙沼の漁師さんからだったとなれば、気仙沼のブランド力も高まるはずです。

チャレンジが生まれ連鎖していく街へ

――最後に、これからの気仙沼をどのような街にしていきたいですか?
藤田 意欲を持った全国の若者たちに「チャレンジしたい」と思ってもらえる街かな。というか、すでにそうなりつつあると思います。震災後にやって来た第一世代の移住者に加え、今やその背中を見てやって来た第二、第三世代の移住者も増えました。移住の目的も復興関係から自己実現へと変わってきていますね。
加藤 確かに。気仙沼に可能性を感じ、この地で新しいチャレンジをしたいという人が増えましたね。そうした人たちを巻き込み、気仙沼という街を一緒に楽しみながら、面白いことをどんどん生み出し、チャレンジを連鎖させていけたらいいなと思います。
――ありがとうございました。